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【レビュー】大好きが虫はタダシくんの―阿部共実作品集

 
最近非常にお気に入りの「空が灰色だから」の作者、阿部共実の短編集。
つうか、「空が灰色だから」も短編集みたいなもんですがね…。
 
空が灰色だから」の中でも屈指の奇作、「大好きが虫はタダシくんの」をタイトル作として取り上げた今作、相も変わらずいい感じ。
「ドラゴンスワロウ」なんかは"陽"の作品。
女子高生二人の日常をギャグを添えつつほのぼのと書き出す。
この人、こういう"陽"を書いているだけでも普通に面白い。
 
でもこの人の本領はここに無い。
そう、「あつい冬」からが本領。
突然人が消えたことに対する説明をいっさい放棄し、それにまつわる戸惑いだけを書いている。
その非現実性に対する焦りと混乱と平常心はあまりに現実的。
行動が上っすべりしてるからこそ、この背景にある精神の混乱がよく推察できる。
 
そして一作飛ばして「大好きが虫はタダシくんの」。
実はWEBでも読むことができる。
是非一読いただきたい。
これを読んでダメなら阿部共実には手を出さない方が良い。
なにか「来る」ものがあるなら是非他の作品も読んでいただきたい。
 
作中の「志織」は決して何かの病気であるとか、おかしくなってしまったとかそういうことではなくて、
(診断の結果としてなんらかの病気という判断はくだされるかもしれないが)
基本的には「普通」だと思っている我々と違うところは無く、
たった数本だけ回線が違っている部分があるのだろう。
表層の言葉から「志織」の感情を推し量ろうとすれば他の登場人物如く
「気味悪いから離れる」という態度を取らざるを得ないだろう。
彼女の台詞は他者の発言の復唱でしかなく、次第に支離滅裂になっていく。
絶望的にキャッチボールが成立しない。
だけど読者には「志織」が決して感情や情緒を持ち合わせていない訳ではないことが分かるはずである。
「奈緒」と会えたことの喜び、「奈緒」との思い出、「奈緒」の立場のために必至に頑張る気持ち、他者と巧く関わろうとしても噛み合ないことへの絶望、それがまざまざと感じられる。
人としての心は持ちながら、それを外界とコミュニケートすることができない。
ある意味「哲学的ゾンビ」の逆とも言える。
 
そして、この短編集の中での真骨頂、「デタジル人間カラメ」である。
あまりにすごすぎて、読後笑えてしまった。
圧倒的に文脈というものを分断し、「物語」を読み取ろうとする読者をいとも簡単に置きさる。
しかし、無秩序や混沌がそこにある訳ではない。
何かしらのつながりがある。
コマとコマに、台詞と台詞につながりは何かある。
だけどそれがなんであるかを我々読者は絶望的に知ることができない。
何か素敵なつながりかもしれないし、恐ろしいつながりかもしれない。
例えば、作中の登場人物たちはしっかりと言葉のキャッチボールをして会話をしている。
見当はずれな答えをしている会話は一つもない。
だけれど、何かが絶対にずれている。
あからさまな分断ではなく、少しずつ少しずつ何かがずれていく。
期待していた到達点に絶対に達しない。
答えや結末や説明を求める欲求だけ呼び覚まし、それを満たすことは無い。
コマ割りも「マンガ的文法」とも言うべきお作法を逆手に取り、文脈のずらしを計る。
何かが起こりそうな視線、行動を映しながら、何かが起きた描写は決して無い。
物語の作法やマンガの作法に慣れた人ほど違和感を感じると思う。
呼応の副詞の一方だけが文章にあるような、起承転結の承だけが永遠に続くような感覚を受ける。
 
さっきから必死に「デタジル人間カラメ」の説明をしようとしているのだが、結局、枝葉末節の描写しかすることができない。
残念ながら、書評という行為に最も適さないタイプのマンガである。
なので興味を持たれたら是非一読いただきたい。
衝撃しか無い。
 
「大好きが虫はタダシくんの―阿部共実作品集」は「空が灰色だから」以上に阿部共実がやりたいことが詰まっていると思う。
あらゆる期待が裏切られ、その上を行かれる。
そんな作品。